ストラクチュア

沈下橋

武庫川にある沈下橋

ST002 Web#=101 掲載2008/5/15

沈下橋というものをご存知ですか? 橋の上に欄干が無くて水面からの高さが低い橋のことです。巾の広い河川で堤防から、いったん川の両岸にある洪水敷(洪水の時だけ水が流れる部分)に降りてから、常に水が流れている部分だけに低い橋を建設したものです。写真3は手前の陸橋から見下ろした沈下橋です。道路の一部ではなくて公園整備用のトラックなどが通過するための通路なのでしょう。欄干が省略されているのと、橋の床が極端に水面に近いのがお分かりと思います。実際に渡ってみましたが、これなら水面に落っこちてもたいしたことはない。台風の時などはこの橋の上を増水した水が通り抜けていきます。

支流側から見た沈下橋

そのようなローカル線に似合う橋が都会(兵庫県西宮市)を流れる武庫川に設置されているのに気が付いていました。珍しいモノには目の無い私ですので、散歩を兼ねて行ってまいりました。武庫川の河川敷は公園として整備されていてとっても気持ちの良いところです。また、都会に近いにも関わらず広く開けた気持ちの良い場所でもあります。沈下橋を自転車が渡っていますが、橋の低さに注目してください。

沈下橋までの取り付け道路

増水した時に橋が水面下に没してしまい渡れなくなりますが、安価な低い橋脚で間に合うので地方(大分県、徳島県、高知県に多い)の交通量が少ない橋で採用されていた工法です。埼玉県では冠水橋、徳島県では潜水橋、高知県では沈下橋、大分県では沈み橋と呼ばれています。徳島市を流れる鮎喰川に架かっていた浜高房橋という潜水橋は、渡るとこんにゃくのように揺れるところからこんにゃく橋というあだ名が付けられていました。これは大正時代に近くの町の人たちが渡し舟の代わりに架けたもので、毎年台風で崩壊し、そのたびに再建されていました。

今では欄干が無いための転落事故が相次ぐので本格的な橋に架け替えられつつあります。日本最古の沈下橋は1876年に大分県杵築市の八坂川に架けられた永世橋とされていましたが、2004年に台風により流失しました。現存する日本で最古の沈下橋は、1912年に同じく八坂川に架けられた龍頭橋のようです。

下流側の厳重な補強

この沈下橋の下流側は洗掘を防ぐために厳重に補強されています。同様な考え方による流れ橋というものもありました。木製の橋桁は橋脚に乗せてあるだけで、水位が上昇するとそのまま水に浮かんで流されるようになっています。上流から流されてきた物が橋脚と橋桁の間に引っかかってダム(ロッグ・ジャム)を造り、結果として水位が上がって堤防が決壊することも防げます。流された橋桁が下流に流失するのを防ぐために、橋桁をいくつかに分け、その1つごとにロープで橋脚につないでいました。洪水が済んでからの復旧作業はロープを手繰って橋桁を元の位置に載せるだけです。

流れの畔に咲く初夏の野草

沈下橋の近く、流れの畔には初夏(2008/5/14撮影)の野草が咲き乱れていました。どうも野草の花は黄色や白が多いようです。

洪水敷は公園として整備されています

沈下橋のすぐ近くにある仁川(支流)と武庫川の合流点には昔(江戸時代)渡し船があり、尼崎市側の村々と西宮市側の村々(段上、上大市、下大市)が両岸で交替で運営に当たっていたそうです。尼崎側の「髭の渡し」と言う地名は、その頃に立派な髭を蓄えたおじいさん(翁おきな?)が渡し守と茶店を経営していたことに因んでつけられた地名だそうです。

建物や橋にさえぎられない広い河はとても気持ちの良いものですが、レイアウトで再現するのは面積の点で到底無理で、沈下橋や渡し場の伝馬船、休み茶屋などで一部分だけを表現すればいいのではないでしょうか。